メンヘラの人生と幸福と死と
俺は曾祖母と同居している。
ひいばあちゃんだ。
実はこのひいばあちゃんも心に闇を抱えている。
たぶん今の時代に生まれていたら、ひいばあちゃんは間違いなくメンヘラだっただろう(笑)
今日は妻が実家に帰っているため、ひいばあちゃんと向き合う日になった。
今朝、俺は同居しているばあちゃんからの電話で起こされた。(このばあちゃんはひいばあちゃんの実の娘だ。以前にも書いたようにうちの家は、ばあちゃんがじいちゃんを婿として迎えたので、ばあちゃんとひいばあちゃんには血のつながりがある。)
俺とばあちゃんの中では、俺が部屋にいる時に何かあったら電話で要件を伝えるのが習慣になっている。
今朝の要件は、ひいばあちゃんについてだった。
ばあちゃんはじいちゃんにいつもケチを付けられまくっているせいで言うことが回りくどい。
俺が二日酔いと睡眠不足のせいで回らない頭を使って情報を整理した結果、
1.ひいばあちゃんが死にたいと言っていること
2.ひいばあちゃんがばあちゃんに側に居てほしいと言っていること
3.ひいばあちゃんの側に付いていたいが、今朝8時からある地域の集まりに行かなければならないため困っているということ
話の要点は以上の3点だということがわかった。
仕方がないが、これは起きるしかない。
ひいばあちゃんは先月心不全で入院をして以来、介護状態になっていた。
ひいばあちゃんの介護はばあちゃんが専任でやっている。
だから今はじいちゃんがばあちゃんに負担をかけるようなことをすると余計に大変なのだ。
話を戻そう。
ひいばあちゃんが寝ている介護用ベッドに向かうと、ばあちゃんが困った顔をしている。
俺はとりあえずひいばあちゃんの話を聞くことにした。
ベッドに顔を近づけて、どうしたのと声をかける。
ひいばあちゃんはとてもつらそうな顔をして、「なんだかわからなくなっちゃった。」とだけ言った。
それではこっちもなんだかわからない。
こうなってはしつこく話を聞くしかないので、何がつらいのと聞いてみた。
すると、「おばあさんがいなくなるのがやだけど、我慢するしかないね。」と返ってきた。(ひいばあちゃんは自分の娘であるばあちゃんのことをおばあさんと呼ぶ。俺も不思議だが、どうやら年寄り特有のスタイルみたいだ。)
なんで嫌なのと質問を重ねてみたが、同じ問答の繰り返しだった。
俺は眠い目をこすりながらも、はじめは何がつらいのかを聞き出すことが大事だと思っていた。
だから何度も同じ質問そしてみたのだが埒が明かない。
我慢我慢と繰り返すことに引っかかりを覚えてはいたが、仕方がないので一旦はばあちゃんの代理で地域の集まりに参加して様子を見ることにした。
その集まりが終わって家に戻ると、ばあちゃんとひいばあちゃんが朝ごはんを食べていた。
じいちゃんはもう食べ終わって部屋に戻ったようだ。
今朝はなかなか冷えたので、ひいばあちゃんの隣りに座って暖を取った。
一息ついたところでさっきのことをもう一度聞いてみた。
やっぱり返ってきたのはばあちゃんがいなくなるのが嫌だけど我慢するしかないと思ったという趣旨のことだった。
そこで気になっていた我慢のことを聞いてみた。
何を我慢しているのかと問いかけたら、「私の死んだ連れ添い!」と言った。(連れ添いというのは俺からしたらひいじいちゃんのことだ。もう30年前に交通事故で亡くなっている。)
詳しく聞くと、夜寝ているときや一人でいるときなどにはいつもひいじいちゃんのことを考えているのだそうだ。
もともとひいばあちゃんがひいじいちゃんのことがものすごく好きなのは知っていたが、そこまで気に病んでいるということは知らなかった。
どうも純粋に好きだからというだけでなく、ひいじいちゃんに対して後ろめたさとか引け目のようなものを感じていることが苦しみを産んでいるようだった。
死者は声をかけてはくれない。
微笑んでもくれないし、触れてもくれない。
そして許しを与えてもくれない。
だからひいじいちゃんへの執着は、ひいばあちゃんを決して解放しないのだ。
ひいばあちゃんが気にしていたのは些細なことだった。
以前に聞いた話では、気にしていたのはひいじいちゃんが食べるために取っておいたみかんをひいばあちゃんが食べてしまったことだった。
そんな小さなことでも、許しを与えられずに相手がいなくなってしまったらずっと自分の心は罪悪感にさいなまれ続ける。
その話を聞いたときには、涙が出てきてたまらずひいばあちゃんを抱きしめた。
こんな年にまでなって、苦しみ続けるのはかわいそうだ。
ひいじいちゃんはもう怒ってないよ、俺が代わりに許してあげるよ。
自然にそういう言葉が出てきた。
そうしたら、その時ひいばあちゃんは「良かった。心残りがなくなった。」と言って心底嬉しそうに笑っていた。
しかし、それでもひいばあちゃんは解放されていなかった。
さらに話を聞いていくと、ひいじいちゃんが亡くなってから七回忌以降のお年忌を上げていなかったことをひどく後悔していることがわかった。
もともと三十三回忌を3年後に上げる予定だったが、自分が身体を壊したことでそれができなくなってしまうと思っているようだ。
ならば。
ならばだ。
お年忌をひいばあちゃんの意識がしっかりしているうちにやろう。
俺は思わず、俺が手配するから今年やろうと言った。
そうしたらひいばあちゃんは笑った。
もしかしたらお年忌を挙げてひいじいちゃんの供養をさらに手厚くおこなっても、ひいばあちゃんや俺が生きているこの世界は何も変わらないのかもしれない。
しかし、間違いなくひいばあちゃんの心はそれによって癒される。
もう自分を責めなくても良くなる。
安心して命を終えることができる。
それが何よりも大事なことなのではないか。
生きるということはそういうことなのではないか。
ひいばあちゃんにしても自己肯定感がとても低いことの苦しみの原因にあることはわかっているが、自己肯定感そのものを高めてやることはたぶんもう無理だ。
でも、ひいばあちゃんが自分を責める原因を取り除いてやることはできる。
だから俺はひいばあちゃんの心を楽にしてやることが、とても幸福なことだと思った。
今回の経験で強く思ったことがいくつかあるのでまとめてみる。
1.お葬式やお年忌は生者のためにやるものだということ
これはよく言う話だが、それを実感を持って理解することができた。
家族や友人などの、大なり小なり自分が執着する人を弔うというのはとても大事なことなのだと感じた。
お墓参りに行くことなども同じだと思う。
その場でしっかり故人を思うことで、生きてる人間が普段から罪悪感や執着にとらわれないためにするためのよくできたシステムだ。
2.高齢者や認知症にかかっている人でも心の根底にあるものは同じだということ
つらい気持ちを抱えていても、人は普通表に出さない。
しかし、
私はあなたに関心があるよ。あなたのことが大事だからあなたのことがもっと知りたいよ。
そういう姿勢を、相手に質問を投げかける中でしっかり示していく。
そうすると相手は、本当に思っていることを話してくれる。
そうすればその原因を取り除くことだってできる。
普段メンヘラの妻と向き合っているときにやっていることと同じだった。
たぶん、どんなに自分と違う人でも、みんなこれは同じなのだと思った。
ひいばあちゃんは軽度の認知症にかかったが、それでもしっかり意思の疎通はできる。
相手を理解しようという意思さえあれば、きっと人は心を通じ合わせることができるのだ。
まとめのまとめになってしまうが、最後にこういうことを言いたい。
相手を理解するためには、相手の話の裏にある本当に本人が気にしていることを聞くことが大事だということ。
そしてそのためには質問を重ね、相手の心や人生にダイブするように深く入り込むことが大事だということ。
そうすればその人の心は癒されお互いの人生は豊かになるということ。
もし誰かつらそうにしている人がいたら、この話を思い出して欲しい。