妻とメンヘラ
たびたび触れているように、俺の妻はメンヘラである。
俺に依存しきっているから俺がいないと泣くし、俺が異性と喋ったら怒るし、いつも自分を否定して勝手に傷ついている。
理不尽なことで一方的に怒られるし、慰めてあげるまでずっとグズグズしている。
とても大変な子なのだ。
だから親代わりをやっていると言っても過言ではないだろう。
どうして俺がそうまでするのかというのは、まあ置いといて・・・。
今日はどうして妻がそんな風になったのかを書いていこうか。
(あと話の流れで妻に対する熱い思いも書いてしまった・・・。)
妻の両親はよくケンカをしていた。
お義父さんとお義母さんはとても子供思いで基本的には親切で優しい人たちだ。
だが、大人になりきれていないところがあって、特にお義父さんがお義母さんに対して母親役を強烈に求めているところがあった。
しかし、当然お義母さんはお義父さんが何を求めているのか理解できないので、お義父さんの中で理解してもらえないというフラストレーションが溜まっていく。
そして、そのフラストレーションは何かあるたびに爆発する。
それがケンカになって現れていたのだ。
小さい頃の妻は怒鳴り合いのケンカを前にして為す術がなく、自分の母親が泣いているのをただ見ていることしかできなかった。
出会ったばかりの妻はお義父さんが大嫌いだと言っていた。
当時、お義父さんのことを語るときの妻の顔は本当に憎しみがこもっており、そこには深い闇があることを嫌でも感じさせられた。
しかし、それと同時にそれを語る妻の眼の中には純粋な悲しみが見えた。
俺の眼には、両親のケンカに圧倒されてしまい、膝を抱えてうずくまっている幼い妻の姿が見えていた。
小学生くらいだろうか。
まだ自我が定まっていないので、心を塞いで自分を守ることはできない。
少女のむき出しの心に、いちばん大事でいちばん信頼できるはずの二人の大人の罵声が突き刺さる。
だから、妻は自分を愛することができなくなった。
俺と出会う前にはまったく自分を大事にできなかったし、自分が苦しむことをいっぱいした。
それがいけないことだとわかっていても、他にすがるものを知らなかった。
妻と初めて会ったその日、夜の公園でふたりぼっちで話したのはそんなことだった。
別にそんなに珍しい話じゃない。
しかし、俺には、いや俺だけには、そこにひとりぼっちで佇んでいる小さい小さい女の子が見えてしまったのだ。
誰かに愛してほしい。けどこんな自分を愛してくれる人はいない。
私は醜い。汚い。いらない子。誰も必要としない子。
妻の心はいつでもそんな気持ちでいっぱいだった。
放っておけば、もう日の当たる世界には戻れなくなってしまう可能性すらあっただろう。
だから、俺は妻を愛することにした。
この手で引っ張り上げて、幸せに生きていかせることにした。
出会ってから3回目のデートで好きだと伝えた。
その時に、書くのもおぞましい過去を聞いたが、すべて向き合う道を選んだ。
そして正式に付き合うことになり、その日以来毎日愛してると伝えた。
妻がどんなに魅力的か、いつも熱く語った。
自信をつけさせるために自分が得意なことや好きだったことを思い出させた。
その話をするまで妻自身も忘れていたようだが、妻は絵が好きだった。
妻は感受性が豊かなので、喜びや悲しみを誰よりも強く感じる。
俺はその感情を表現する方法があればとても素晴らしいと思った。
絵を描くことはその表現にぴったりだった。
だから俺は妻が絵を描くことを応援することにした。
それからはメンヘラ的な感情の起伏の激しさはあるけれども、妻の中には生きるための核になるものができて、自分の道を見つけられたような感じがする。
さらに今の妻には目標があり、絵を描くことで生活資金を稼いでいきたいと本気で考えている。
これからも俺は妻のメンヘラっぷりに振り回されて生活していくが、妻が幸せなので俺も幸せだなーと思うのだった。