kenjunsan’s blog

メンヘラと呼ばれる人へ

「かわいい」という病

この社会はイかれてる。

みんな病気だ。

テレビでは毎日毎日"かわいい"が量産されている。

SNSが流行り始めた時も、場所が変わっただけでやってることは何も変わらなかった。

そして、学校という小さな小さなコミュニティの中で、社会が作った"かわいい"という概念を基にしたヒエラルキー(階層)が出来上がっていく。

子供たちは義務教育や家庭の中で主体性を奪う教育をされているので、自分の頭で考えることを知らない。

それに加えて正常な自己愛や自尊心を持つことの重要性も教えられていない。

だから、社会が一方的に押し付けた多くの間違った価値観を鵜呑みにしてしまうのだ。

その最たるものが"かわいい"だ。

若い女の子の8割くらいはこのイかれた価値観に苦しめられているだろう。

SNSをちょっと見れば、自分の顔が嫌いだの、ブスだの、キモいだの、そんな怨嗟の声が溢れている。

こんなのおかしいだろ?!

女だけでなく、男だってそうだ。

馬鹿な男ほど、気軽にブスブス言いまくる。

 

こうした雰囲気を積極的に作っているメディアは本当に醜いと思う。

例えばドラマを見ていると、合コンの席で女性たちが男性側の到着を待ちながら話しているシーンがあった。

その会話が酷かった。

その女性たちはイケメンのことしか頭にない様子だった。

いざ男性たちが到着すると、リーダー格の年長の女性が歓迎のムードで男性たちにどうぞどうぞと媚びていた。

文章で書いている分には伝わりにくいと思うが、とても不快だった。

この女性たちは恋愛以外に大事なものはないのか?

この映像はあまりにも女性を馬鹿にしているんじゃないのか?

恋愛以外にもこの世界には楽しいことや幸せなことはたくさんある。

この映像は、それら全てに大した価値はないと言っているように見えた。

そしてこういったメディアが押し付ける価値観が、若い子たちにとっての毒になっているのだと感じた。

 

ほとんどの若者が、見た目だけで人の価値が決まると思っている。

そんなものは、大人たちがしっかりと子供の中身を育ててあげられないから起こっていることだ。

人の価値を見る目がないから人を見た目で判断する。

要するに思考停止している。

人の価値についても自分の価値についても、一切考えることなく最初から放棄している。

だから、一番わかりやすい見た目にばかり目がいく。

 

でもな、人にはもっと色々な面があって、醜いところも素晴らしいところもいっぱいあるんだよ。

人間というのはもっともっと深いものなんだ。

絵が上手い人も、文章が上手い人も、話が上手い人も、走るのが早い人も、計算が得意な人も、いっぱいいる。

そして、苦手なこともいっぱいある。

片付けができない人も、運転が下手な人も、人の気持ちを汲み取るのが下手な人も、人に媚びる人も、いっぱいいる。

見た目なんてそうした個性の中の一つでしかないんだよ。

それだけで人を判断するなんてこの上なく心の貧しい人間のやることなんだよ。

自分のことも他人のことも、もっとよく見ろよ。

自分がいなくていいわけではないし、他の誰かがいなくていいわけでもないんだよ。

自分がいなくていいと思ってるから、他人のこともわからないんだよ。

もっと人の心の奥底を見ろよ。

自分も他人も。

苦しい気持ちもつらい気持ちもいっぱいあるよ。

でもそれだけじゃない。

楽しい気持ちも幸せな気持ちも、それがたとえほんとちょっとだとしてもあるんだよ。

それも全部掘り起こしてみて、その中にある自分の痛みに触れてみろよ。

痛みに触れたら涙が出るよ。

それが心なんだよ。

その痛みが他の人にもあるんだよ。

それをわかるっていうことがこの世界で最も幸せなことなんだよ。

 

苦しみがわかる。

あなたの苦しみがわかる。

それがとても幸せなことなんだよ。

あなたが相手を理解できたなら、相手もあなたを理解しようとする。

それを幸せと言うんだよ。

 

わかり合うことの喜びと比べたら、他のことなんて全部ちっぽけなことだ。

自分も他人も否定する必要はない。

あなたはあなたでいいんだよ。

他の人は関係ない。

親も兄弟も友だちも先生も上司も彼氏も彼女もぜーんぶ関係ない。

誰もいなくたってあなたの人間としての価値はなくならない。

誰がなんと言おうとそれは変わらない。

自分の味方ができるのは、究極的には自分だけだ。

まずは自分の味方をちゃんとしよう。

そしたら次は人を理解しよう。

ちょっとずつでいい。

ちょっとずつ自分を受け入れよう。

そして人を尊重しよう。

でも嫌なものは嫌だ。

だから、はっきりと拒否の意思を示そう。

つまり、必ずしも人を全面的に受け入れる必要はないということだ。

そして、まずは自分の心が安定させることが大事だ。

他人のことは余裕がある範囲でやればいい。

そして、人のために自分を犠牲にするのはダメだ。

そういうのは、自分自身を本当に愛している人がやることだ。

自分のことを本当に大事にして、その上で人を大切にしよう。

自分を大切にすることが欠けていたら、人に大切にされることも難しいからね。

まずは自分自身を大切にね。

 

 

 

さて。今日も長々とした文章を読んでくれてありがとう。

この文章を書いていたら妙に熱くなってしまって、常々自分が思っていることを書き殴ってしまった。

正直自分が嫌いな人に自分を大切にしろなんて無理な話だとは思っている。

でも、苦しんでいる人に少しでも俺の言葉が届けばいいと思っている。

俺は基本的に性悪説に立って世の中を見ているけど、人が嫌いではないからね。

人に希望を持っているんだよね。

みんな同じような希望を持ってくれたらいいんだけどね。

まあなかなか難しい話だ。

少なくともこれを読んで、自分自身の心や人との接し方を振り返ってみてくれたら俺がこれを書いたことの意味は果たされるな。

自分はこう思ったとかあればコメントしてみてよ。

そしたら俺もまたこう思うよってことを書くよ。

そうやって語り合うことで理解が生まれるからね。

ぜひビビらずに書いてみて。