kenjunsan’s blog

メンヘラと呼ばれる人へ

主体性を持とう

主体性はこの世知辛い世の中で生きていくためにものすごく大事なものだ。

そもそも、あなたの人生は誰のものなのか?

言うまでもなく、あなたのものなのだ。

あなたの親のものではないし、あなたが依存しているクズ男のものでもない。(もしかしたらクズ女かも…。)友達のものでもないし、上司のものでもない。

そんなやつら全部いなくなったって、あなたはあなただ。

しかし、メンヘラってのはその辺の感覚がぶっ壊れてることが多いので大変だ。

 

自我境界という言葉がある。

自分と他人の間に存在する良くも悪くもどうしようもない壁のことだ。

健全な精神を持っている人はこの壁をしっかり持っていて、自分と他人が別々の存在であることを認識できている。

この壁がうまく機能することで、他者に対して譲れないものと譲歩できるものを分別することができ、自分の自我をうまく保つことができるのだ。

 

しかし、メンヘラの場合はこの壁がものすごく小さいことが多い。

というか、全く存在しない場合すらある。

で、この壁がないと、他人の言動がとてつもなく気になって仕方なくなる。

他人の一挙手一投足に自分の気持ちが左右されてしまい、常に周りに振り回されてしまう感じだ。

メンヘラがいつでも他人の顔色を伺ってしまうのはこのことと深く関係している。

このブログにたどり着いたということは、あなたも自我境界がとても曖昧なんじゃないだろうか?

だからいつも他人の顔色が気になってそわそわしてしまう。

まあその根底には例のごとく、自己愛の欠如と自己肯定感の不足があるのだが・・・。

 

自我境界が曖昧な状態だと周りの意見に振り回されるので、自分の意思がなくなってしまう。

自分の意思ってのがつまり、「主体性」のことだ。

で、これがものすごく厄介な問題で、

自我境界が曖昧だと、人に依存しないと生きていけなくなってしまうのだ。

そうすると自分の人生のはずなのに誰かのために生きる人生になってしまう。

誰かのために生きるのはたしかに立派だが、それは自分で自分のことがしっかりこなせる自立した人がやることだ。

依存的な人が自分をなげうって人助けをしたって、ただの自暴自棄にしかならない。

だからまず自立しよう。

自分と他人の間にある絶対的な壁に気づこう。

悲しいけれど人は生きている限り独りなのだ。

(ちなみに人類補完計画ってのはこのことから問題意識が始まっていると思う。自分と他人は違う。でも独りは寂しいからつながりたい。いっそ自分と他人の自我のあいだにある境界を取っ払ってひとつになりたい。みたいな。)

 

でも、自分と他人は違うからこそ価値がある。

自分を認めるから他人を認める余裕が生まれ、他人を認めるから自分も認められる。

それが人と人の本当のつながりだ。

 

まあなんだか説教臭くなってしまったが、大事なのはこの一つ前の記事に引き続き自我の持ち方みたいな話がテーマでした。

ここまで読んでくれてありがとう!